2025年11月6日(木)
今回は私の師匠愛のハートフルエピソードです
『 師匠(シェフ)の還暦パーティーに行ってまいりました。 』
本日、ランチ、ディナー営業しております。
先日お休みを頂いて師匠の還暦パーティーに出席させていただきました。
後輩から連絡を頂き時間があれば顔を出して下さいと。
こんなめでたいパーティーに出席しない理由は無いですし元々そんな教育は受けていない。
師匠の言う事には
『 はい、か、YES 』
で答える教育を受けてきた昭和世代です。
強制されたわけでは無いですし、皆さんに
強要しているわけでも無いので悪しからず。
(個人の気持ちの問題ですし、時代が違います)
さてパーティーでは諸先輩方や一緒に働いていた仲間、初めて話す若い人達とも交流ができ有意義な時間でした。
会場で1番楽しんでおりましたし、1番ふざけていたかもしれません。
楽しみ過ぎて師匠すいません
そんな師匠とのエピソードを今日は少し綴っておこうと思います。
私は1998年に に入社致しました。
料理学校を大変優秀な成績で卒業し
高輪プリンスで華々しく料理人人生をスタート、その後六本木のビストロで働いてからの入社でした。
レストランでは全ての事を自分達でやる。
パン、アイス、スモークハウスで燻製する
生ハム、サラミ、サーモンなど。
敷地にある日本庭園の手入れや池の掃除など。
人によってだと思いますが、これが意外と楽しい。
なんでも面倒くさいと思ってやるのでは無く、どうせやるなら楽しくやる。
そして時間がある時は師匠も率先して庭の掃除などを一緒にしていました。
トップ自ら率先してやる、背中を見せる事を自然と仕事を通して教わった気がします。
入社当初、師匠が洗い物をしていたので変わりますと声を掛けた時、私に向かって衝撃的な事を言いました
『 ありがとう 』
おおっっ、まさか御礼を言われるとは。
洗い物をシェフにさせるのも申し訳なく、怒られるかと思っていたらまさかの御礼。
今は時代が違うと言われればそれまでですが当時の私にとっては衝撃でした。
そしてその時私はこう思いました。
『 この人に一生付いていこう 』
今は離れていますが心はいつも一緒です
プライベートでも富士山に一緒に登ったりと楽しい思い出も沢山有ります。
今では禁止されている弾丸登山です。
日曜日の営業が終わりそのまま出発。
山梨の富士吉田口から登ります。
着いて仮眠して登るのかなと私クラスは思いますが、師匠クラスは違う。
登山口近くのファミレスにより遅いディナー。
食べて仮眠かと思いきや、とりあえず瓶ビールを数本注文、もちろん追加注文も。
ビールもそこそこ飲んで仮眠かと思いきや次はワイン。
さすが師匠、常にリサーチや勉強する姿勢を登山前にも見せて頂けるとは思いませんでした。
登山口の駐車場に移動してちょっと仮眠。
そりゃ寝れるわけがない。
山を始める時に読んだ本に書いてありました。
登山前にやってはいけない事。
・無計画な登山
・寝不足での登山
・二日酔いでの登山、、、、、、。
3個中2個該当しているが登山開始。
師匠に本貸しときゃよかったと反省。
枠に囚われていたら良い料理は出来ないと御指導頂きました。
高山病で頭が痛いのか、お酒で頭が痛いのかは分からず持参した酸素を吸引しつつなんとか山頂に到着。
師匠は1時間以上前に登頂。
メンバー全員無事登頂を果たし山頂でご飯を食べる事に。
何やらシェフがザックをゴゾゴゾやりながら一言
『 山頂でこれがやりたかったんだよなぁ 』
とザックからワインボトルが登場
人間の器の大きさとザックの容量は比例するようで見習いたいと思いました。
そしてワインを開けようとした時にシェフ痛恨のミス。
『 ソムリエナイフ(ワインオープナー)がない、、、、。』
あんなにシェフの悲しそうな顔を見たのは初めてでした。
そしてあんなに人のミスを人生でナイスと思った事は有りません。
しかし人生とは思った様にはいきません。
その時ソムリエ喜古君が動き出した
『 シェフ、ございます 』
彼の手には輝くソムリエナイフが、、、。
草薙の剣か、霧島の逆鉾か、喜古のソムリエナイフか。
シェフとソムリエで打ち合わせしていたんじゃないかと思う位の寸劇。
無事ワインも抜栓出来乾杯。
人生で初めて師匠のお酒を断った様な気がします。
そんな日本の最高到達点でのエピソードも師匠との素敵な思い出です。
働いていた期間よりも辞めてからの期間の方が長くなってしまいましたが、こうしてあたたかく迎えて頂ける事に感謝致します。
還暦を迎え昔よりは体力も少し落ちたと思いますので、あまり無茶はなさらない様ご自愛しつつ私達にかっこいい背中を見せて頂けたら幸いです。
還暦おめでとう御座います。
そして師匠
『 大好きです 』
今後とも御指導宜しくお願い致します。
2025年11月6日(木)